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2008年4月20日

2008/04/20

「人件費」は涙と一緒に出た本音か?

橋下知事が市町長から集中砲火を浴びた日、彼が思わず涙ぐんで言ったのは、「人件費が高すぎる」ということだった。あれは彼が心の底で思っていたことが思わず出た言葉だったのではないだろうか。
果たして公務員の人件費は高すぎるのだろうか?

橋下知事が何と比較して、あるいは何を根拠に高いと言ったのかは分らない。だがかつて一緒に仕事をした府の職員は、かつてに比べると随分収入が下がったと言っていた。もう5年前のことである。
以後ますます財政は厳しくなって、さらに減ったのではないかと推測するが、驚いたのは、以前は良かったという話の中で出てきたかつての年収額である。公務員でもそんなにもらえるんだと、びっくりしたほどの数字だった。

それを持ち出せば確かに高いとは思うが、それはもう随分昔の話である。今現在において高いかどうかは、一度オープンにして議論したらよいのではないだろうか。

公務員の人件費は、基本的に年功制の人事制度にリンクした給料表に基づき、あとは勤務する職場ごとの事情によって決まってくる。福祉部局など金のないところでは忙しい上に残業代などが出にくく、土木系部局など金のあるところでは逆にきっちりと出してくれるといったような傾向がある。もともとの事業規模が大きいだけに、事務費も多いためだ。

で、それが働きに見合った報酬なのかといえば、一口には難しいのではないかと思う。なぜなら金銭だけでなく、やりがいなども報酬の一部だと思うからである。

最近、救急医療体制の崩壊が問題になっているが、そんな厳しい条件の中で働く救急医を支えているのはやりがいや使命感といった金銭以外のものである。公務員の人件費について考えるなら、それらを含めてどうなのかといった次元で考えるべきだ。

現実には、勤務年数の長い人ほどやりがい云々より、少しでも楽、少しでもたくさんもらえる職場がいいというのが大部分だろう。だがそれはその人が怠惰だからではなく(そういった人もいるだろうが)そういったことを望んでも仕方ないという現実を見るにつれ、やりがいを求めていた人も意識が守りに入ってしまうからである。ただでさえ公務員は何かと批判されやすく、肩身の狭い思いをすることの多い職業である。そんな警戒感から、萎縮や事なかれ主義に向かいやすいという性質を持っている。

黒澤明の映画「生きる」では、無気力な市役所の職員が自分の死に直面にして初めて仕事に情熱を傾ける。現実は映画ほど簡単ではないが、本来行政の仕事というのはやりがいを感じられる職場のはず。
だが現状では硬直した人事制度や財政難、省益あって国益なしと言われるような国に振り回されて、なかなかコレと思うことができない。橋下知事が財政再建にこだわるのも、財源なしでは何もできないとの思いが強いからだろう。

話はそこで人件費に戻るが、もし金銭的報酬を削減するのであれば、その代わりに精神的報酬を増やすことで、全体のバランスを取ることが必要なのだ。
彼自身は大阪のために、という気持ち一つ、使命感だけで四年間突っ走れるかもしれないが、一般の職員にとってはあくまでも手取りが減るということでしかない。警察や消防など、普段から厳しい現場と直面している職場の人達にとっては、金銭的報酬の削減は辛いだけだと思う。一方で他の現業部門の扱いは厳しいものにならざるを得ないだろうが。

知事が全庁的、あるいは全府民、府内の全首長に対して財政再建への協力を求めるなら、その代わりになる何かを提供しなければならない。それがまさによく見えないと批判されている「理念」であるし、庁内の様々な改革だろう。もちろん議会の改革にも手をつけないというのは許されまい。
そこまでしてはじめて誰もが金銭的報酬の削減に納得できるのだ。
だが彼の言動はそこで空回りしている。彼がこれまでやってきた仕事と比べ、利害関係者の数が桁違いに多いのに、今までの感覚でやろうと急ぎ過ぎているのだ。

以前書いたことだが、橋下知事がやるべきは金銭以外の報酬となるモチベーションづくり、組織の士気を高めるための組織改革、制度改革でと思っている。それなしに財政再建は果たせないだろうし、もしその改革ができれば、それは彼の蒔いた種として将来的に大きな花を咲かせることにもなりうるのだ。

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