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2008年3月7日

2008/03/07

道路特定財源が失わせるまともな感覚

「過剰出費はコンパニオン代? 国交省財団の仰天「大名」旅行」

「住民の反対なんのその 国交省が造ると言ったら造るのさ」


という記事を見て、思いだした言葉がある。
公務員を始めて間もない頃に先輩から聞いた、

「民間は金を稼ぐのが仕事だが、役所では金を使うのが仕事だ」

というものだ。

日々の仕事においては個々の工事を厳しく積算し、適正に発注しなくてはならないのだが、かといってそれでお金を余らせてもいけない、と聞いて

「余ったら給料として分けてくれればいいのに」

と言った時に発せられた言葉だった。

その先輩は財務事務所にいたことがあって、税金を集める仕事にも携わっていただけに、身をもってそういうことを感じていたのかもしれない。
以来、行政の仕事をする中で何度もその言葉を反芻してきた。それだけに、冒頭のような話を聞くと、結局お金が余っているんだな、その処置に困っているんだな、ということが分ってしまう。

道路という目的で集められたものだから他の目的には流用できない。使い勝手の悪いお金だから、余ると使い道に困るのだ。だから理屈をつけてちょっと?な目的に使い、ちゃんと使いましたよ的なポーズを取ることになるのだ。

他に足らない所があるならそっちに回せるようにするとか、減税するとか、そうするのが普通の感覚だが、政治の道具になったりして、このお金はそういった普通の感覚から遊離してしまっている。
自分の稼いだ金なら、それで浪費しようが豪遊しようが、それは個人の勝手だが、そうではない、税金である、という感覚が抜け落ちてしまっている。

東国原知事がガソリン税廃止に反対するのは、まだ払った額に見合うだけの道路を造ってもらっておらず、ここで作るのをやめられては困るからで、それはそれでもっともな主張だろう。
けれども本来なら道路という目的に縛られずに財源をごっそりもらった方がよっぽど有効に使えて良いはずだ。
わけの分らない外郭団体に流れて消えていくこともないし、住民が望まない道路を「勝手に」建設されることもないのだから。

ここはまず、もう一段高い知見に立って、今の制度の弊害を、人様のお金をわけのわからない目的に使われることの異常さを見つめ、その制度によって失われたもの・・・正常な金銭感覚・・・の大きさを考えて欲しいと思う。

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