« 2007年8月29日 | トップページ | 2007年10月23日 »

2007年9月23日

2007/09/23

「格差」と農業

「農家切り捨て論のウソ」
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20070919/135317/?P=3
という記事を読んで、あることを思い出した。

地方公務員をしていた頃、周囲は兼業農家、あるいは農業や土地との関係を持つ職員がとても多かったということだ。
法律により、公務員の兼業は禁止されているが、農業は例外となっている。そのため、家の田んぼで米を作ったり、あるいは畑で野菜を作りながら平日は県庁で仕事をしているという人がかなりの割合でいた。
農作業の季節になると、彼らはよくそういった話題に花を咲かせていた。
土地(農地)を持つ人にはそれなりの苦労があるのだなあと思いながら聞いていたものだが、そういったものに縁のない自分にとっては別世界の話だった。
都市と農地が比較的近い地域だからこその出来事だったともいえるが、土地を持たず孤独だが自由な都市住民と、土地と地域との密接なつながりを持ち、豊かではあるが、しがらみも多い都市近郊兼業農家との感覚の違いを見せつけられ、決定的な断絶を感じたものだ。

彼らは農作業のしんどさや地域活動の負担を抱えている反面、米や野菜、時には猪の肉といったものに至るまで融通しあっていて、都市では考えられない価格でそれらを手に入れる機会に恵まれていた。
そういった彼らにとって県庁に勤めるということは、遠方への転勤の心配が無い、安定した働き口を得るということだったと思う。
組織としても職員がボランティアや地域の活動に熱心であることを奨励していて、それは自分のように他県で単身者用マンションに住んでいる者には全くトンチンカンな話だった。

農業と縁のない職員はたくさんいたわけだが、やはり資産を持っているという点で農家は圧倒的に豊かだったと思う。
地方公務員だからそれなりの収入はあるのだけれど、そういった資産を持っていない家庭では、まず住宅ローンを抱えているだけに、学校に通う子供がいれば小遣いを切り詰めた節約生活を強いられる。
ところが兼業農家にそこまでの切実さは無かった。
古いかもしれないが持ち家はあるし、いざとなれば農地を処分すればいいさ、という考えができたからだ。
こういった兼業農家が都市住民と比べて確実に豊かであり、豊かな側として格差があるのは事実だろう。

こういった兼業農家のあり方が悪いとは思わないし、むしろ羨ましいと思うが、問題なのはそのどちらもが中途半端になりかねないこと、その可能性が小さくないという点だ。

彼らが農業を農地という資産の副次的なものという程度にしか考えず、現状に安住しようとすれば農業は衰退する一方だろうし、安定した働き口という動機だけで行政の仕事を選んだのであれば、その意欲や姿勢にも限界がある。

行政の仕事の現場で特に強く感じられるのは、職場によって仕事への熱意、動機に大きなばらつきがあることだ。
例えば現業やそれに近い職場ほど決まったことの繰り返しという仕事の割合が高いので、職員は時代に対応した変化や革新といったものを嫌がり、なあなあの職場になってしまう。しかし意思決定に関わる中枢部では常に取捨選択と新しい施策を進めていかなくてはならない。
行政組織のこの綱引きの中で、前者の力が強ければ組織の活力は失われ、時代に対応できなくなってしまう。それを動かす役目を負っているのがリーダーたる首長なのだが、多くの場合、規制の枠組みの中から首長が誕生する現実があり、それがあまり期待できない。となると、行政組織は本来の役目を見失った、住民にとって厄介な組織となる。(このあたりのことは社会保険庁を見ればよく判る)

資産を持つ「豊かな」兼業農家は自民党と結びついて日本の政治に大きな影響力を及ぼしてきた。そこの構造が変わるとなると、日本という国のかたち全体が変化していくのだと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

総裁選

 結局、最初からほとんど結果が分かっているという点では安倍政権誕生時とあまり変わらない今度の総裁選。
彼ら(自民党)にとって総裁とは自分たちを選挙で勝たせてくれて、政権といううまみのある地位を守るに都合の良い顔でしかないということが良く分る。
政治的理念とか志はほとんど二の次で、取って付けたようなものなのだ。だから議論によって候補者の思想信条、政権公約を明らかにさせ、それによって支持を決めるという構図が成立しない。
どんな思想信条であろうとそんなことはほとんどどうでもよく、最初から派閥とか党にとって都合よく振る舞ってくれる人物が「当確」となってしまう。候補者が何をする、何をしたいとか訴えたところで、それはマスコミのネタになるだけで、党にとっては「そんなの関係ねえ」といった調子でほとんど聞いてはいない。テレビの前で群衆を前に演説している彼らの言葉に真剣に耳を傾けている一般国民が哀れだ。まったく嘆かわしい。

小泉純一郎が支持を集めたのはその「変人」ぶりであって、自民党、つまり政権を持つそんな体質の党の中で、マトモな行動をとろうとした人物が現れたからである。そして彼は公約通り自民党をぶっ壊した。
しかし後が続かなかった。
彼が変人である限り、それはやむを得ない事態だった。
自民党が彼のような変人ばかりが集まるような集団だったなら、次のリーダーが現れただろう、しかし自民党はやはり古くからの体質を引きずっていて、というか、最初に述べたように理念とか信条ではなく「政権」という地位だけを求めて集まった人達(勝ち馬に乗りたい、乗れればそれで良いという人達)だから、そうなるのも当然だった。


 そりゃもちろん、議員だって一つの就職先なわけで、失業したら困るからそういうことを考えるのは仕方ないかもしれないが、一年生議員ならまだしも、ほとんどが世襲の党の実力者がそういう態度なのは嘆かわしい。彼らは恵まれた環境にあり、考えるべきは国の将来であって、自分の権力の消長ではない。なのにただ権力欲しさに政権に固執するというのは情けない。
むしろあまりにも恵まれた環境にあるから世間一般の感覚が分らないのだ。そしてそんな議員の本質を見抜けず、彼らを担いで議員として存続させている有権者にも問題がある。
その点自民党に厳しい結果だった前回の参院選は良い結果だったといえる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2007年8月29日 | トップページ | 2007年10月23日 »