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2007年7月25日

2007/07/25

天下り規制のあるべき方向性

 公務員制度改革の一環として天下りの規制が俎上に上がっている。
天下りといえば省庁を退職後、出身官庁とつながりのある企業や法人に用意された高給なポストに転職し、たいした仕事もせず数年で退職して高額な退職金をもらい、また別な企業や法人に移って同じことをくり返す、といった理解が一般的なのではないだろうか。その中で、退職公務員は地位を利用し、楽してたんまり稼いでいる、全くまかりならん、といった意見が体勢を占めているのだろうと思う。

 確かに私が十数年前に特殊法人で見た天下り役人は、まさにそのとおりの姿だった。彼らには個室や運転手があてがわれ、遅い出勤、早い退庁、少ない仕事、そして高い給料、そんな身分で短い期間を過ごし、またすぐ次の人と入れ替わっていった。
あの人達は全く何をやっているのだろうと思いながらも、詳しいことは分らなかったのでそれ以上深くは考えなかったのだが、彼らこそまさに今、規制の対象になろうとしている人達だったということは間違いない。

 こういった慣行が行われるようになったのは、もともと多くのキャリア官僚が定年を待たずに中央省庁を追い出されるからであり、その代償としての再就職先の高い地位・給与となっているのだ。
官僚として定年まで元の省庁にいられるのはトップの地位に登り詰めた数人だけであり、それ以外はいわば「選ばれなかった者」としての運命に甘んじるしかない。国を動かす権力の代わりに金銭を与えて我慢してもらおうという考え方に根ざしている。
そんな官僚の誇りを満足させるため、省庁は外郭団体を作り、将来の就職先(ポスト)を用意することに熱心だったわけだ。そしてそんなコスト意識など微塵もない団体を養うため、国民の税金が大量に投入されてきたわけだ。

 確かに弊害は大きい。けれどもいくら天下りを渡り歩いて高額の給与と退職金を稼ぐとしても、根本的なことを考えて、それで当の官僚たちは満足なのだろうか。
そもそも、いくら金があっても六十歳を越えてからでは使い道は限られている。それよりも、もっと若いうちに、本省で勤務している間に沢山もらっていた方が良くないか?子供の教育費に使うこともできるだろうし、自分たちのために使うにしたっていろんな使い道があるだろう。貯金もできるだろうし、ある程度の額があれば、もう高給と退職金だけが目的の天下りなんかなくてもいいはずだ。省庁も退職後の面倒を見る心配がなくなり、結果的に税金の無駄遣いも減るはずだ。
日々過酷な勤務に耐えている官僚達のためにも、若いうちに働きに見合った給料を払って先に報いるべきではないか?そうすれば職業としての魅力も高まり、天下り規制による士気の低下や人事の停滞といった心配する必要もなくなるように思う。

 今はまず官僚達の勤務が過酷であるにもかかわらず給料が決して高くなく(ほとんどサービス残業)、長期にわたって雇い主である国が面倒を見るというしくみが早期に退職する職員に天下り先ポストをあてがうという代償行為につながっている。
これを反対に、中央官僚は太く短く働いて給料の高い職業(佐川急便のドライバーみたいなものか?)と位置付け、特に優れた人にだけ、さらに上の地位に就いて長く働く機会が与えられるという二段階の仕組みにしてはどうかと思う。行政の仕事は幅広い知識と経験が要求され、一朝一夕にプロの職員が誕生するわけではないが、長く続けていれば良いというものでもないはず。天下りが目当てになってしまえば、ただ職にしがみつくことだけが目的の、事なかれ主義に陥る弊害の方が圧倒的に大きい。
退職が早いとその後の人生設計を考えてもらう必要があるが、自ら雇用の不安を感じることで世間の空気を知るのも悪くはない。それに普通の給料なら官僚の知識や経験が欲しい企業はあるだろう。

 天下りを渡り歩いて高給を稼ぐという、一般では考えられないような仕組みを残したままでその中で働く人達が普通の感覚を持ち続けることは難しい。単に天下りの規制という一点のみに注目するのではなく、いかに一般の国民の感覚に近いところで仕事をしてもらうか、それを考えるのが規制の本当の目的であり方向性である。

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