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2007年7月10日

2007/07/10

社保庁職員の憂鬱

 社保庁の職員がどんどん辞めていっているそうだ。

そうだろう、世間からはバッシングされ、お上からはボーナスを召し上げられ、ひたすら謝り続け、着地点の見えない中で何千万件という年金データの照合という難題に追われているのだから。

そもそも社保庁という組織、年金という制度がなぜこんなにいい加減ででたらめな運営をされていたかというと、その由来に原因があるという記事が昨日の朝日新聞に載っていた。
ナチスドイツは年金として集めた金でアウトバーンをつくるなど、年金財源を国民のためというよりは国の事業のために使った。それに目をつけ「年金は金集めの良い口実だ」として始まったのが日本の制度だという。だから国民のために使うという意識に欠けたこんなずさんな運営のされかたをしてきたのだとか。

確かに、人様の資金を預かるという認識には随分足りなかったし、そう言われてみれば納得がいく。
だが、辞めていく職員の身になって考えると、そんな組織の性格は、国民だけでなく、多数の真面目な職員にとっても不幸の根源だったのではないかと考える。

基本的に末端の職員に罪はない。盗み見といった問題を起こした人もいるが、それで年金が消えたわけではなく、この問題全体からすれば些細なことに過ぎない。
彼らには組織の風土や目的遂行のための最大の障害となっている問題を解決する権限はなく、そんな根本的な問題を抱えた組織の中で真面目に職務を遂行はなければならないという、真面目な人ほどジレンマを感じる中で仕事をするしかなかったのだ。

労働組合の的外れな要求と、それを黙認してきた当局の関係はそんな本質的な問題を遠ざけるための防御線だったように思える。組織がそんな状態で、肝心な問題を放ったらかしにしている中では、個人の努力など無力だ。

公務員は全体の奉仕者でありそれが仕事だが、職場が本来の意味での奉仕をしようとしないのではどうしようもない。仕事をするなと言っているようなものだ。板挟みになった職員はどこに向かえば良いのか。
自分の所属した組織のこんな末路を見ながら辞めざるを得ない職員のことを思うと気の毒だ。

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