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2007年6月23日

2007/06/23

公共事業と談合体質

ゼネコンの決別宣言にも関わらず、相変わらず談合のニュースには事欠かない。それどころか現職警官をも巻き込んでの官製談合が発覚するなど、根の深さを再認識するような事態が続いている。

談合について考える時、その対局にあるものを考えてみると分りやすい。たとえば新規参入について注目度の高い通信業界、特にインターネットや携帯電話だ。ソフトバンクなどの新規参入組は、モデムを無料配布するなどして顧客を獲得した。NTTや既存のプロバイダに対し、まさに仁義なき戦いを仕掛けた。そして生き残った。これこそ自由競争の世界だろう。これを例えるなら、まさに広大な草原における草刈り合戦である。それだけ多くの需要が見込め、ターゲットが多いから成り立つ構図なわけだ。
そして生活に不可欠なサービスというわけでもないから、公がそれほど業界を制御する必要もなかった。

翻って公共事業ではこのような例はまれだ。多くの需要がある上下水道は、需要は多いが生活に不可欠な基本的なサービスであり、品質についても公が責任を持つ必要があるということで、公営企業によって運営され、競争原理は基本的に導入されていない。電気は民間企業により供給されているが、これまでは独占が認められ、ようやく最近になって競争原理が導入されつつある。

では、たびたび談合の舞台となる土木工事となるとどうだろう。
これはもう草原どころか砂漠のオアシスに点々と生えている木のようなものである。高度成長期、もしくは戦後の復興期、あるいは明治維新から続くスクラップ&ビルドの土建国家にはそもそも土木建設業者が溢れている。競争原理によって強い業者だけが生き残るようになれば、多くの業者が確実に死ぬ。だから業者は砂漠に点々と存在するオアシスをみんなで共有しようとする。

公としても、使いやすい業者が地元にいると便利だ、だから競争原理によって淘汰されることを必ずしも望んではいない。だからそこで入札参加業者を指名するなどして競争と相反する行為を行う。これには議員も加担する。そこで業者と行政の間には、競争に反する持ちつ持たれつの関係が生まれるわけだ。

談合をなくすには、この砂漠のオアシスのような限られた公共事業をどのように分配するかという根本を考えるしかない。
和歌山県の知事が談合対策として打ち出した方針には指名制度が残っているとして、浅野前宮城県知事が批判していたが、まさにこれは行政の側が勇気を持ち、情を断ち切らないと終わらない問題である。
ただし、競争原理の大胆な導入は、大店法によって地域の商店街が衰退し、地元に密着したきめ細やかなサービスが失われたように、日常生活におけるこれまでの形を大きく変えてしまう危険性もある。
これまで中小建設業者が担っていたちょっとした工事が、生き残った一部の企業にとってはうまみがないとして見向きもされず、入札が不調になって工事ができないというケースも増えるだろう。そのような事態への対応も同時に考えなければならない問題なのである。

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