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2007年2月10日

2007/02/10

温暖化

先日の報道によると、温暖化の予測がこれまでよりも厳しい数値で発表されている。
気温上昇の原因は90%の確率で人間の活動だということだ。
CO2削減を叫んでも、実際には増加している一方だし、身の回りのあらゆるものがIT化されていく中、電力の需要が増加していくのは当然のこととも言える。
大量のエネルギーに頼った生活様式が定着し、そんな生活スタイルに染まった人間が方向転換をするの簡単なことではない。

地中海周辺を起源とする、乾燥した地域に生まれた一神教は、自然を人間が神から与えられたものとして自由にすることを許した。そしてその思想の流れをくむ西欧文明によって近代科学技術は発展した。
資本主義経済も宗教改革によって神との関係を整理できたことで発展し、科学技術の進歩と両輪をなして現在の文明社会をつくりあげた。ところがここにきて、その進歩の基盤となった「自然は人間に従属する」という考え方が破綻をきたしているというわけだ。

この地球に住んでいる以上、今や人間もその環境の一部であることを免れない。けれども西欧文明社会のごく普通の人たちにとっては、そんな考え方は全く馴染みのない、異質なものであるような気がする。
それに比べると本来日本人の方がよっぽどそのあたりを理解していると思う。なぜならそれは風土から生まれた考え方であり、宗教によって裏付けされた思想だからだ。そしてそれとともに日本人は明治維新まで自然と調和して生きてきた。
けれども産業革命によって生まれた科学技術と資本主義経済の波が押し寄せると、日本はもちろん、世界中のあらゆる地域は一気に呑み込まれ、人々は際限ない欲望の肯定へと誘い出されてしまった。

市場は確かに人間の抱える様々な問題をうまく解決する機能を持っていて「神の見えざる手」とまではいえないにせよ、正しいルールがあってそれが守られていれば、基本的には欲望をいくら拡大させてもそれを調整する機能を持っている。
だからCO2排出権という考え方を取り入れることで、環境ビジネスとそのための科学技術が生まれたり、この問題にも挑んでいくに違いない。
けれども、そもそもそのような欲望肯定社会というのは、絶えず人間に大きなストレスを与える世の中でもある。

経済学者か誰かの言葉で「市場原理が唯一解決できないのは世代間の問題だ」というのがあった。確かに市場に参加できない未来の人たちは、いずれ当事者になることが確実なのに、発言権もなければ、まったく蚊帳の外である。
自分と神しかおらず、いずれ最後の審判に行き着く世界では、もともと次の世代という発想がない。そこに欲望を肯定する資本主義経済が入り込めば、自分一人でどこまでも何をやっても良いということになる。しかし、今も文明から遠い伝統的な文化を守る原住民族などにはたいてい狩猟や生活の中に、次の世代のことを考えたやり方がある。それは「足るを知る」であったり「後のために残す」というやつだ。

しかしこのような発想を持たない市場経済は、確実に次の世代を危うくしている。温暖化はまさにその現れだ。そして社会に適応できない人間が増えているということは、この世の中を任された次の世代からの悲鳴であり、少子化はすでに自分たちが生きるのに精一杯であるという無言の叫び、またこの社会を次の世代に引き継ごうという展望が描けないために現れている現象だということもできる。

最強の問題解決装置である市場原理が世代間の問題を解決できない以上、それぞれの世代が責任もってカタを付けるしかない。けれどもそのためにはまず今の世代が本気で動かなくてはならない。
養老孟司氏はその点は楽観している。自分たちに危機が迫れば当然やるだろう、と。
それは確かにそうだと思う。でもそれで問題が解決するのはかなり先で、その頃には随分犠牲が出てしまっているようにも思う。そしてそんな犠牲が必要というのなら、我々は原住民族より劣っているというようにも思う。
しかしそれは文明がグローバル化した時代に適応するために、どうしても必要な犠牲なのかもしれない。悲しいことだが。

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新聞の未来

ネットやフリーペーパーに押されて新聞・雑誌は前途多難な時代。ル・モンドが無料紙を出したり、新聞の権威も風前の灯か。

しかし新聞というのはマスコミの老舗であり、時にエラそうな顔をしているが、その足下である販売部門において、○クザと見まごうかというくらいガラの悪い人たちを目撃したことがある。

集合住宅の入居前のこと、日程を知ろうと聞いてきた男は目つきもガラも悪くて閉口した。その後の営業活動も新聞という文化的なイメージとはほど遠く、単なる縄張り争いのようだった。
客にはにこやかに接するのだろうけど、レンジフードのフィルターとか怪しげな雑貨を低所得の高齢者に言葉巧みに高く売りつけるセコい訪問販売員とほとんど見分けがつかなかった。
(注:セーブして書いています)

まあ、全部が全部そうではないだろうが、知らなかった一面を見た思いがして「エラそうなこと書いていても足下はそんなものだ」と、”権威”というものの胡散臭さを感じたわけだ。

実際、ここんところ新聞の記事盗用とかそんなのがぼろぼろ出てきているし、所詮、人間てその程度のものだろうと思う。誰もがそんなに立派には出来ているわけではない。
だからエラそうにしないことが一番だと思うのだけど、権力や権威というものは人を黙らせる力があるから、それにみな惹かれたり、憧れたりするわけだな。

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中学校受難時代

テレビでもやっていたけれど、最近の学校は、親からの要望やクレームの対応で大変らしい。
生徒を叱るとすぐ親が文句を言いにきて、子供を学校に行かせないだのとゴネて学校を困らせ、教師を精神的に追い込んで、時には自殺に至らしめるのだと。

あるところで中学の先生がいっていたのだけれど、今の親は学校が荒れた頃に生徒だった世代で、学校を信じていないのだとか。だからすぐに文句を言うのだと。

そしてそんな出来の悪い生徒ほど早く結婚して子供をたくさんつくるという。なんとも困った負の再生産サイクル。

では出来の良かった生徒はというと、その逆なんだろう。そして子供は私立とかに入れるのだろう。まさに格差の構図がここにあり、社会の階層化、断絶が始まっているといえる。

そんな下の層の数が増えれば、彼らは政治には関心がなく選挙にも行かないだろうし、行くとしてもすぐに煽られる有権者だから、プロパガンダに乗せられやすいだろう。

そこに小選挙区制が乗っかっていることを考えれば、政治はますますメディア受けを狙ったものになっていき、揚げ足取りや目先のことにとらわれたものになっていくのだろう。最悪の場合、アメリカのようにネガティブキャンペーンばかりになっしまうのだろうな・・・

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政治家の本音

ヤナギサワもカンもアベも、誰も彼もみんな肚の中で思っている事はただ一つ


子供をつくれ


子供が増えたら、年金問題も少子化対策も労働力不足も財政赤字や農業の問題も、今の日本が抱えるいろいろな問題の解決に一気に光明が見える。そうすればその分他のことにエネルギーを費やせるわけで、本当は政治家も官僚もみんな同じ事、ソレを思っている。
この際総理も閣僚も与野党全議員も全官僚もみーんな起立して国民に向かって頭を下げて、


国民のみなさん、どうか子供を生んで、子孫を増やしてください。


と頭を下げたらどうか。
本音を隠したタテマエの言葉尻でピリピリするよりその方がよっぽど健全だと思うがな。

そうしてお願いされたら今度はボールを受け取った国民が「じゃあ、こうしてよ」と政策を要望すればいいわけだ。そしたら今度は政府が「わかりました」といってしっかりそれをやれば良いわけだ。

そういう政府と国民の信頼関係が今の日本に一番欠けているのだから、この際正直になって再構築すれば良いではないか。

それが国を愛する心、つまり愛国心、そして美しい国の姿ではないのか?


(コイズミはそんな”パフォーマンス”をやって、そして国民は反応したのだと思うけども)

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