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2005年4月30日

2005/04/30

土木という世界 4 改革のためには

 この業界は、地震や台風といった自然災害があると忙しくなる。
台風が近づいてくれば待機体制を取り、徹夜で備えたりパトロールをする。そして被害が出ればできるだけ早く復旧すべく、管轄の土木事務所が復旧工事を行う。梅雨から台風の季節はそんな突発的な仕事が入ることがあり、気の抜けないシーズンなのである。

 ひとたび事が起きれば人命や財産に影響が及び、直ちに責任を追求される立場なので、行政は計画に際しては非常に神経質で慎重である。そしてそれゆえ他の部門に比べて潤沢な予算も用意されている。
しかしそれにも限界がある。いくら人間の手が加えられたからといって、自然を完全に制御するなど不可能、でも技術屋としてはそれを少しでも乗り越えるのが使命でもあるから、頑張って前に進むしかない。しかしその行き着いた先が「脱ダム宣言」であったりするのだ。

 もし彼らが単なる技術屋の集団の中だけではなく、多様な立場の人と仕事をし、より幅広い視野で自由に物事を考える事ができたならば、そんなに反発を受ける前にバランス感覚が働いたのではないだろうか。そして反発を受けたとしても、素直にその意見に耳を傾け、柔軟に対応することができるのではないだろうか。彼らの仕事を否定する訳ではないが、実はそんな仕事のやり方の中で、非常に大きく深刻な問題が置き去りにされている。しかもそれは彼らが解決できる種類のものではない。

 それは、そうやって造り続けられてきた様々な施設がいずれは耐用年数を迎え、手入れをしなくては使い物にならなくなってしまうということだ。つまり、作れば作っただけ、維持費の請求書が後の時代に回ってくるということである。
財政が危機的状況にあるという今、もうすでにその維持が十分にできない施設が出てきている。国鉄も専売公社も、すでに民営化して時代の流れに合わせる努力が行われてきた。しかし土木という世界においてその動きはあまりにも遅いように見える。

 組織には、その組織ごとにDNAとも言うべき性質があり、土木の世界におけるそれは、計画・工事・検査という仕事の繰り返しの中で染み付いたものである。ITの時代になっても、自然相手の現場が主体で、基本的に国が面倒を見るという点に変わりはなく、土やコンクリートを扱って何かを作り続けることに変わりはない。
そういった繰り返しの感覚が、一方ではドッグイヤーと言われるほどの速度で移ろう時代と人々の感性の部分について行けず、ズレているように見えて仕方ない。今、この分野を動かす人間には、そういった時代の感覚を仕事に取り入れることが求められているのに、古い体質を残している事や、似たような人間ばかりで占められていることで、そんな新しい動きが阻まれているのだ。
実際彼ら自身も時代の変化には気づいており、いろいろな改革を試みてはいるが、しょせんは身内でお茶を濁す程度のことしかできていない。仕事に新しい動きを取り入れるには、そのDNAの部分まで変える気がなくては不可能である。

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