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2005年4月19日

2005/04/19

土木という世界2

 土木という仕事の中には、定期的な点検や補修など、日常的で地味な仕事もあれば、巨大な橋やトンネルを造ったりする、派手なものもある。請け負うのは国際入札に参加するような巨大ゼネコンであったりするが、末端で働くのは日雇いの労働者たちだったりする。しかし発注するのはたいてい行政で、そういう仕事を専門に続けてきた人たちである。

 前述のように、活躍の場が限られている技術系の人間のうち、地味な仕事だけで満足しない、志のある者ほど、もっと大きな仕事をしたいと思う。そんな人間の努力が新幹線や道路網を整備してきたとは言えるだろうし、それが悪いわけではないが、もうすでに整備がなされ、飽和してきた今になっても、まだブレーキがかからないでいる。
成果を自分の手柄にしたい政治家の思惑のため、大型公共工事はいつも政治の材料にされるが、行政側もそれを免罪符に自己の欲求を満たしている面がある。本来なら行政側が必要性を吟味して政治家に抵抗して良いはずであるが、そういうことは財政部門では行われても、土木部門で行われることはないのではないだろうか。
別に、政治家と結託しているつもりはないだろうが(あるかもしれないが)、どうしてもそこに本来あるべき基本的なバランス感覚が欠けているように思えて仕方がない。

つまり、技術系の人間ばかりが集まって、ずっと似たような仕事ばかり繰り返していると、当然のことながら視野が狭くなってしまう。発想も陳腐になり、一つの方向からしか物事を見る事ができなくなる。これはどんな組織であっても当てはまる。かつての日産自動車がそういった技術偏重の末に危機に陥ったことは良く知られているところだ。
しかし民間企業ならそれで潰れるところが、行政は国債発行によって巨額の予算を調達し続けた。もちろん会計検査などのチェックが入るわけだが、会計検査が見るのは金が適正に使われたかどうかであって、事業そのものの是非を問うものではない。実際土木部門が最も気を使うのは会計検査だけであり、結局納税者の顔を見る事なく、官の枠の中だけで仕事が完結するために、行政は客観的な自分たちへの評価を知ることがない。

 土木という世界は巨大な船であり、政治家や関連業界を巻き込んで動くマシンである。そして今、目前に氷山が迫っているのに方向転換できずにいる。船の中の仕事ばかりに熱心になり、進路についてはあまり注意を払ってこなかった。これからの少子高齢化、危機的な財政状況の下で、一体どうするというのだろう。
日産自動車はその後、カルロス・ゴーンのもと、組織の改革を行い、復活を遂げた。しかし行政組織は職員が失業することがないため、危機感などありはしない。同類ばかり集まった職場で改革など不可能である。道路公団の藤井前総裁を見ていればそれが嫌というほどよく分かる。彼は優秀な技術者であり、立派な仕事をしてきた、それだけに現状を否定するようなことはできるはずがなかったのである。

 巨額の税金を消費するこの巨艦を正しく導くには、まず、操船する乗組員たちが自分たちの位置を適切に把握し、進路を見定めることが必要である。そのためにはまず、彼らがそういった能力を身につけられるよう訓練しなくてはならない。船の内部だけでなく、外の状況をも判断するバランス感覚を養わなくてはならないのである。そのためには、組織を変えていくためにすべきことは山ほどある。

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