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2005年4月14日

2005/04/14

公務員の労組とは

 大阪市役所の問題で、諸問題の根源のように思われてくるのは、労働組合である。
公務員には団結権・団体交渉権は認められているが、争議権がなく、自分たちの待遇改善については民間企業の労働者に比べて弱い立場にある、とされている。
賃金の上げ下げは、国家公務員については人事院の判断に任されており、他の公務員についても同様で、つまり、文句があっても、自分たちには実力で抵抗する事ができないから、ということだ。

 一方、民間企業の場合、賃金は基本的に業績に連動するから、頑張って儲ければそれだけ収入も増え、余計なことを考える余地は少ない。競争社会ではあるし、職を失うこともあり得る。安定させるのが難しいけれど、インセンティブが有効に機能するようにはできている。
この点、公務員の世界は全く逆である。安定は保証されているが、インセンティブはない。
それでは何に向かって仕事をすれば良いのだろうか?ただ淡々と毎日の業務をこなし、日々の自分の暮らしを満足させていけばそれで良いのだろうか?
そういう部分もあるだろう、だが、変化の激しい時代に、のほほんとしたものを期待すべきではない。
しかし、組織のシステムは、今もまだそんなのんびりとした時代のものを多く引きずっている。
もっとも、競争がなじまない業務もあるわけで、そこに無理矢理競争を持ち込めなどとは言わない。
だが、それを理由にあらゆる改革に抵抗・反対し、何も変えさせないというのは労働組合の側に多く見られる態度である。それでいてさまざまな待遇改善を、それがインセンティブになるといい、要求するのだ。それが理性・分別のある大人の、まっとうな職員の行動だろうか?私にはただの駄々っ子のようにしか見えない。

 使用者と労働者という対立する立場を考えれば、要求を掲げて闘うのは当然かもしれないが、役所の場合、民間企業のように業績という明確な結果責任の指標がない。そのため、自らを律する気がなければ、言いたい事を言いっ放し、といった事態になってしまう。
破綻しまくりの第三セクターなど、民間企業ならいつ潰れ、どれだけの首が飛んでもおかしくない山ほどの失敗をかかえながら、組合の力が強すぎたために、当局も要求を受け入れざるを得ないという流れになっていたのだろう。労使共々断罪されるべきである。

しかし、こんな事態にそんな活動をして平然としていられた労働組合は、市民にとっては迷惑以外の何ものでもない。その事に気づかなかった事を恥じるなら、一刻も早く解散し、もう一度自らの存在意義を問い直し、出直すべきである。
右肩上がりの時代とは違い、公務員の職員労働組合は今、その存在意義を問われる時代になっているのだ。

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