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2005年4月13日

2005/04/13

欲望と忍耐2

 大阪市役所の問題では、忍耐の裏で欲望が厚遇となって現れていた。
仕事の中で欲望を肯定して発散できない代わり、それを言い訳として労働組合が様々な要求をし、行き過ぎた待遇を獲得していたわけだ。ここには様々な問題が含まれており、十分に明らかにしていく必要があるが、ここではまた違った観点から「忍耐」の組織について見てみる。

 欲望を原動力に物事を押し進めていこうという活力のない「忍耐」組織ではあるが、そこには優れた点もある。
それは、仕事上要求される忍耐については基本的に忠実であるということだ。

欲望を充足させることよりも耐える事が主となっているため、そういった事に対しては多くの職員が素直に順応できる。当然といえばそれまでのことだが、精神性のレベルから、彼らの多くはそれを受け入れる事ができる。
考えてみれば、役所の仕事というのは船頭の仕事の部分もあるが、多くの人が携わるのは、一般市民と接する現場である。そこでは様々な問題が持ち込まれ、いかに納得してもらうかにすべてのエネルギーが注がれている。そこには自分の欲望など存在してはならない。いかにそれを押し殺して人々に奉仕できるかが重要なのである。

たとえば、災害が起きたときなど、彼らは山ほどの仕事を抱えることになる。自分たちの生活すら大変な状況でも、文句一つ言わず、むしろ山ほどの苦情を聞かなければならない。そのような忍耐ができるのは、普段からそういう仕事をしている人たちだけだろう。欲望を追っているだけの人では不可能だ。

 かつて世間のルールとズレた役所のルールを批判したある官庁の人物が、そういった場面で自分の任務を放棄しなかったために処分されたと聞く。結局彼は、そういった忍耐の文化に耐えられなかったということかもしれない。

 日本のように奉仕や喜捨といった宗教的な精神が存在しない国では、欲望と忍耐のバランスをどうやって取るか、その組織の哲学が非常に重要となる。グローバル化の中で、内輪のルールが通用しないことを認識しなくてはならない。その点で公的機関は立ち後れているところが多いわけだが、大阪市役所や社会保険庁は最たる例といえるだろう。

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