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2005年4月11日

2005/04/11

欲望と忍耐

民間企業で働く人に望まれる精神性は強い「欲望」であると言えるだろう。
もっと儲けたいと思う人ほど、どうすれば良いかを必死で考え、行動する。それが企業の利益にも結びつくからだ。
資本主義社会における民間企業は、基本的にみな、すべてその原理で行動しているわけだ。
ただ、欲望一辺倒では環境破壊などの問題が発生する。だから法による様々な規制がかけられているし、またそれを破った時のダメージも大きいから、ある程度のところでブレーキがかかっているわけである。

一方、それに対し、公的部門では発想が全く異なる。
そもそも、民間企業では金儲けが仕事であるのに対し、そこでは金を使うことが仕事なのである。そして、頑張ろうが頑張るまいが、自分の取り分は基本的に変わらない。
そこでは欲望を原動力とした一般社会のシステムに対し、忍耐を基本とした逆のシステムで人々は動いていると言っても良いかもしれない。
そういった部門では、権力を行使することから、公平・平等の原則が最も重要となり、その仕事は常に人間の弱さ、邪な欲望との戦いである。したがってそれに負けない公正な感覚が仕事をする上において最も要求される精神性となる。

だがいくらその基本がしっかりしていても、それだけで良いのかといえばそういうわけには行かない。
変化の激しいこの世の中で社会の要求を満たしていくためには、組織は常に自己革新が必要である。安全な線だけ追っていては、かえって足を引っぱり、問題源となるだけである。
しかしそこで働く多くの人たちは、その自己革新をせずに過ごしてしまう。なぜか。
それは厳しいペナルティーと同時に保証されている手厚い待遇のためである。
安全さえ確保していれば、他に何もしなくても、いようと思えば十年一日のように安泰でいられるからだ。下手に薮の中に踏み出して地雷を踏むよりは良い。

そういった消極的な集団をいかに制御し、最大の効果を引き出すか、それがトップの腕の見せ所となる。
残念ながら、大阪市役所は、それの失敗例、悪い見本としてこれ以上ないものになっているが、この実例から我々は様々なことを学び取らなくてはならない。

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花見と酔っぱらい

桜が咲くと、それを楽しみに出かけていくのはアメリカも中国も韓国も同じ。
どこでもこの季節は人は花見をする。しかし満開の桜の下で宴会をするのはどうも日本人だけのよう。
特に、激しく酔っぱらって問題を起こすほどまでに酔うのは明らかに日本人だけだろう。
そもそも、外国には酔っぱらいは、基本的にいないようだ。
酒に寛容な文化と、単一民族で島国のため、社会の中で無防備になれる、気を許せる安心感があるからだろうと思う。これが緊張した社会だと、なかなかそうはいかない。特に電車の中で見かけるようなことはないだろう。
だから、サッカーの試合や、新年のカウントダウンなど、ごく限られた瞬間にのみ、それに似た一体感・安心感を得て、酔っぱらうことになるのだろう。

テレビでは、酔っぱらってケンカしたり、暴れる花見客の若者が報道されていた。見ていると、これは新年を迎える時の騒ぎや成人式と同様、ここぞとばかりにメチャクチャやっているように見えた。
昔はあまり見かけなかったものだと思うが、特定の機会に酔って暴れるというのは、海外の現象と同様に思われた。あのような”楽しみ方”を覚え、同じようなことをやっているようにも見える。

もう一つの理由は、年齢の割に精神的に未成熟になってきているということだ。
酒が飲める歳になっても、まだまだ限度を知らず、歯止めがきかないのだろう。
社会的に大人になれるまでの時間が長くなっているのは、世界で共通のことだろうが、特に甘えを許す日本の社会では、存在しやすいのかもしれない。
もっとも、日常ではオジサンの酔っぱらいの方が格段に目につくのだが。

それと、これが最も重要なのだが、そんなふうに、そんなときに若者がエネルギーを発散するしかないほど、普段のストレスが溜まっているのかも、ということだ。
日常、有意義なことにエネルギーを使い切れないということは、良いことではない。
その原因が社会にあるとすれば、そんな世の中を作っている我々全員に責任がある。

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